「酔うか、酔わんか」

フロちゃんのかつお船航海日誌(成5年5月30日〜6月1日)

小説の読み過ぎのせいか、海が実家から遠かったせいかよくわからないけど、私にとって「海」という言葉に魅力があって、海上の冒険航海に行きたい気持ちが子供の頃からあった。

でも、漁業と農業の町である南郷町の3年間の滞在中、田植え、稲刈り、みかん契り等の陸上体験を何回もしたのに、ちび子と共に目井津港内の釣りを除けば、漁業及び海釣りの経験はあまり無かったことも事実であった。だから、友達が、
「せっかく南郷町に来たので、かつお船に乗ってみないよ!」
とすすめた時に、私は「中々いいアイディアだ」と思って、検討してみた。

でも、不思議なことに、真剣に
「かつお船に乗ってみたい」 と友人に言ってみたら、励ましどころか思いとどまる反応ばかりでした。
「気が狂っているのか?かつお船なんて大変だよ!
「酔うから楽しくないよ!」
「新人は激しく酔うし、血を吐く場合もある!」
そして、必ず聞かれるのは、
「船酔いは?大丈夫?」
私は微笑みながら返事したことは「私のちょっとした海上の経験で、強い方でも弱い方でもないから、酔うんじゃないか」でした。
「今は笑えるけど、乗って酔ってからは、笑い気がするかな」
と返事した人もいましたが、どうしても私はかつお船に乗ってみたかったので、こういうことが言われたも決心を変えなかった。

結局、色々な方々の協力によって、平成5年5月30日に、目井津港の松田さんの69トンかつお一本釣り船「恭進丸」に乗船することとなって、朝の5時15分に酔い止めを飲んで、6時35分に出港した。

最初の一時間半は平気で、ブリッジで乗組員と世間話をした。波を見ると気分がすぐ悪くなると乗組員の一人が言ったので、海岸の「見学」を熱心にした。

(これからは、日記の書き抜きです)

8時過ぎ、冷や汗をかいて、船尾の方に行って、座った。8時26分に吐いた。4連発だった。海岸(都井岬付近)の「見学」をもっともっと熱心にすることにした。

9時47分:二回目の連発。

10時8分:初めての飛魚をみた。乗組員の何人かが
「大丈夫?大丈夫?」
と聞いてくれた。私はにこにこして、大丈夫に言って、海岸の見学を続ける。

10時33分:三回目の連発。

10時50分:昼の準備ができた。食べ物をみるだけで四回目の連発が自然に開始した。吐く気が済んだら、私は皆に向かって、元気よく(やせ我慢?)、
「楽しいなあああ」
と微笑んで言う。乗組員のすすめで無理して少し食べてみる。また吐いた。時刻は11時15分。

12時10分:六回目の連発。太陽が雲から出ると、海の色がものすごくきれいな透明青い。

(六回目が最後でした。鹿児島湾に入ったら、気分がすっきり治って、目井津港に帰るまで、食事もちゃんととれたし、酔う気はまったくなかった。ラッキーだった。恭進丸の乗組員も感動して、「内臓が強い」と言ってくれた。

垂水の餌場を出て、屋久島の南海上に位置してある中ノ島の周りでかつおの群れを追って、1日半で、恭進丸の漁師は24トンのかつおを引き揚げ、3日間以内で目井津港に帰港した。私は邪魔にならない場所で釣りをしていたが、「群れ外れのかつお」319匹とマビキ1匹を釣った。

もっともっと書きたいが、切りがないので航海中の忘れられない印象・思い出のほんの少しを書くことにした。

---やっぱり、船の動き方とゆれ方が小説で描かれたよりもよっぽど生き生きとした感じであった。すごくいい感じだった。

---船のコックさんの料理のうまさ。

---漁師の親切さ。優しい人ばかり。

---最初のかつおを釣ったときの興奮。

---かつおの群れを探している船頭の真面目な表情と集中力。

---巻かれた餌(いわし)を追いかけたかつお群れの勢い。まるで野生犬の群れみたい!「来たど!」

---特に大きなかつおを釣って、引き揚げたときの漁師の叫び声。

---かつおの群れの下に常に回っている数匹のサメの茶色・黒緑色の皮膚。危険の実感を覚える。

---釣ったかつおの尻尾が、デッキをパパパパパパと叩いて響く激しい音。

---10分で、私が40匹釣った大漁の時のかつおの狂乱ぶり。

---目井津港へ帰った後の大雨の中の9時間の水揚げの疲労。

---上陸してからも、3日間ぐらい、地面が揺れているような感じ。

南郷町の3年間の中で、恭進丸に乗って、かつお一本釣りの体験が、一番すばらしい体験であり、言葉で表現できないほど楽しいものであった。松田さんをはじめ、協力して下さった皆さんに、特に恭進丸の皆さんに、心から、
「どうもありがとうございました。大変お世話になりました。」

あんたも、かつお船に乗ってみないよ!

© 1993, Louis A. Floyd