32 エディ・ギャラード / Julian Edward Gaillard III
05/01/28 米ロッキーズとマイナー契約



<プロフィール>
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・身長185センチ、体重90キロ。右投右打。34歳。
・1970年8月13日、米国ニュージャージー州生まれ。
・フロリダサザン大−タイガース入団(13巡)−デビルレイズ−レッズ−中日−横浜
・背番号は32→19に変更
・03年年俸は2億6000万円。横浜はそれを在籍期間で按分した額を支払う(たしか9000万程度)。
・04年年俸は年俸1億1000万円プラス出来高払い1億3000万円。


<成績>
   歳 所属 試 回  W L S 振 率
2000 30 中日 51 47.0 1 2 35 52 2.68
2001 31 中日 47 46.2 0 1 29 24 2.12
2002 32 中日 47 47.1 1 1 34 27 1.52
2003 33 中日 23 23.0 2 2 14   5.08
2003 33 横浜 13 12.1 0 1  8   2.19
2003 33 合計 36 35.1 2 3 22 33 4.08


<04年のエディ・ギャラード>
 開幕から不振。佐々木に繋ぐセットアッパーの役目を与えられたが、不本意な投球が続く。右ひじ痛を訴え、6月9日、検査のため帰国。「右ひじ関節炎」に加え、わずかなじん帯損傷が判明し、29日に手術。全治2ヶ月。そのまま退団した。米球界復帰を目指し、05年01月28日コロラド・ロッキーズとマイナー契約。



<03年のエディ・ギャラード>
 中日不動のストッパーとしてシーズンインしたものの、指の打撲(球団発表)のせいで不安定な登板が続き、中継ぎ降格を経て二軍落ち。外人枠の問題からその後も一軍昇格されず、本人が二軍での調整登板を拒否したことから山田監督等との軋轢が表面化した。中日球団は7月中旬にウェーバー公示。これは高額の年棒支払を回避するとともに、長年の功労者であったギャラードの今後に配慮しての異例のシーズン中の自由契約であったと言われる。

・ウェーバー公示を受けて、最優先順位球団であった横浜が7月28日にギャラードを獲得した。ウェーバー公示による移籍が成立したのはセ・リーグ初。8月10日に一軍昇格し、すぐに古巣中日戦で初セーブ。中日時代とは別人のように順調なピッチングを見せた。横浜での防御率は2.19.セーブ失敗は一度だけ。



<02年までの成績>
メジャー・マイナーの成績
・メジャー成績は3年(97-99)で通算30試合登板 2勝0敗1セーブ 防御率6.38
・00年より中日。00-02年の通算成績は2勝4敗98セーブ 防御率2.11。最優秀救援2回(00.02)
・ちなみに00年はシーズン途中入団。
・ちなみに「来日直前のギャラードの3Aでの防御率が5点台だった(だから3Aで大したことない成績の投手でも日本で大活躍できる可能性がある)」という伝説がありますが、実際には3Aでは神級のストッパーとして大活躍していました。 ソース



<ピッチング>
・球威で勝負するタイプ。球速はMAX155km/h(2000/6/21)。03年も153km/hを計測している(2003/5/30)。データルーム
 制球はそこそこ。よくはないが悪くもない。今年は、打たれるときの制球の悪さが目立った。横浜に来てどう変わるか。
・変化球は、スライダー・チェンジアップを投げる。もっとも、打者一人に対しせいぜい1球投げるいう程度。大した球ではないし制球もイマイチだが、投げること自体がチェンジアップみたいなものなので、空振りが獲れる。例えるなら、江川のカーブ。

・左右で被打率はあまり変わらない(03年はともに.220程度)。ただし、左打者に一本もホームランを打たれていないのに対し、右打者に6被本塁打。

・クイックは得意ではない。


<その他>
・本名は" Julian Edward Gaillard III"、つまり「エドワード三世」です。
・横浜入団時のコメント:「新たなスタートでフレッシュな気持ちでいる。横浜は苦しんでいるが、自分が入ることでチームに勝つという気持ちと勢いが出ればいいと思う。」
・趣味はスキー・音楽鑑賞
・いい人らしいw




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