朝日新聞低能の証明

関西版2000年5月18日 くらし面 「医療不信」より

朝日新聞が「医療についての疑問,不信点についてご意見募集します。」と投稿をつのりました。600通ほどきたそうです。ずいぶんひどいと思われる医者もいるようで,正義の味方きどりの佐藤純という記者は怒り,厚生省に押しかけ何とかするようにとインタビューしました。一面ほとんど使う大きな記事です。厚生省は,一部はたしかに問題であるが,個々の問題である。国全体として対処するような問題ではないと,けんもほろろです。

それでも怒りの収まらない記者は,こんどは日本医師会に押しかけ,同様の取材です。同じく,けんもほろろです。

医師会と厚生省が「結託」して,「医師の不祥事」を「組織的隠蔽工作」をした訳ではないのですから,当然の反応です。警察や役所の不祥事と同じではありません。

さて,この立派な正義感に燃える記者さんは,次のような点が気に入らないようです。

1.(問題は医学部卒業後)古い知識や経験でやっている医師です。勉強を怠っている方に退いてもらうことはできませんか?資格をとりあげるとか?(記事原文のまま)
2.医師らの言動に傷つけられたという投書もたくさんいただきました。
3.信頼できると思って選んでも,違う場合があります。
4.医師によって正確な診断や正しい治療ができる人と,できない人がいるのはなぜですか。(原文のまま)
5.パターナリズム=患者は医師の判断に従うべきだという考え方が駄目だといわれている。そういう患者は減ってきていますよ。

こんな記事がまかり通るとは不思議です。

1.(問題は医学部卒業後)古い知識や経験でやっている医師です。勉強を怠っている方に退いてもらうことはできませんか?資格をとりあげるとか?(記事原文のまま)

90才以上の老人も多く診てきました。「先生,あんまり長生きしても面白くもないし,早く殺して。楽に死ねる注射はないの。」という人も結構います。もちろん,それをまともに受け取るほど馬鹿ではありません。翻訳すれば「つらい治療などいらない。無理やり治療で寿命を延ばして欲しくない。ただし病気で,苦しむのはいやだ。」くらいの意志表示でしょう。本当に死にたければ,医者に来て薬など飲みません。私など,科学信奉者で,患者の自己努力も求めます。どちらかというと「こわい医者」です。だから,ちっともはやりません。患者を叱らないといけないことも多いのです。しかし,95才にもなれば,科学的であるよりも,技術が良いというよりも,やさしく何でも言う事を聞いてくれる医師のほうが良い場合もあるのです。自由主義と自己責任の世界です,「まっ,煙草もほどほどに,酒もちょっとならいいよ。」とやさしい医師が求められても,それは患者の選択です。そういう医者のほうがよくはやっています。

「少しの技術より人間性である」と新聞は持ち上げることもあるのに,技術の劣る医師はやめさせろと,厚生省や医師会に文句を言いに行く記者の低能さには,あいた口がふさがりません。

高齢の医師も問題にしていますが ,社会の役にたっている高齢の医師も多いのです。高齢で不安であれば他の医師を選べば良いのです。選べない校医などは,定年制があってもよいと思います。しかし,選択の自由が保証されるなら,先の例のように高齢の医師を選ぶ自由もあるはずです。それが,自由競争社会の原則です。記者はこんな事も理解できないのです。(もちろん,国の問題として,医師の定年制が絶対あってはならないとも思いませんが,十分慎重な議論が必要ですし,こんな低能のマスコミなどには議論して欲しくはありません。)

2.医師らの言動に傷つけられたという投書もたくさんいただきました。
世の中には横柄で,口のききかたも知らない,技術の低い,あほばか医師もごく少数いるであろうことは,私も認めざるを得ません。医者,警察,司法関係者,新聞記者は,客に頭を下げることの少ない職業です。慢心するものも出て来ます。

私も,デパートの店員やスーパーの店員に横柄な態度をとられ,腹をたてることはいくらもあります。それでも「店長を呼べ」と叫びませんし,通産省に出かけて行って,善処を要望したりはしません。それが,朝日新聞の記者だとできてしまうわけです。それを,自慢気に記事にできるのです。
もちろん「朝日新聞の記事に深く傷つけられた例,実害の出た例」募集とやれば,全国から何百通と来るでしょう。言動の下品な記者も知っています。

多数を見れば,変な人間も多少は混じってくるということです。横柄なマスコミや,新聞記者の態度に怒っている人は多数います。不正確な非科学的記事もあります。だからといって,新聞協会に「マスコミ不信」という記事で取材にいったとは聞きません。あほばか医師を追及するなら,あほばか記者も追及してもらいたいものです。

寝たきり老人への虐待もあとを断ちません。食事もろくに与えず,薬も飲まさず,虐待しておいて,悪くなったので入院させると,「往診の医師の管理が悪いから入院した。入院代を支払え。」といってきた患者の家族もいます。福祉事務所まで同情してくれますが,こんなのも,医者はひどいとふれてまわります。医者にも言い分はあるのです。世の中には,一方的に断罪できないことも多いのが,低能の記者には解らないようです。ひどい例と騒ぎたてるだけで,背景や原因を追及しないのです。こんな,記者の初歩もわからないのが朝日新聞です。

「背中から霊が入って,おなかに居座っている。とってくれ。」といってきた,あほばか患者が実際にいます。「霊媒師の所にゆけ。」と怒鳴りたくなるのを我慢して診ると,触れただけで妊娠6月はありました。5才と2才の子持ちなのにです。どこにでも,変なのはいます。霊はきっと違う場所から入ったのでしょう。

校医をしていますが,校長先生と打ち合わせ中に「孫がはしかになったのはお前たちのせいだ。」と怒鳴られたこともあります。はしかは,予防注射を学校に上がる前に済ましておくのが原則です。予防注射をしなかった親のせいだとは絶対に考えないのです。

危篤になった老人の家族と「これ以上延命しても苦しむので,あまり積極的な治療をしないでおこう。」という約束になっていました。勘当同然になった息子や,家族も見たこともない遠い親戚が,15年ぶりに聞きつけてやってきます。「なんで,治療をしないのだ。姉とつるんで殺す気か。」とわめきます。親不幸の劣等感や遺産相続を有利に運ぼうと,良い格好をつけるためなのは,周りのみんなが知っていることです。これは,医者になれば必ず何度か経験することです。うんざりです。

睡眠薬を横流しして利益を得るためだけに,受診するものもいます。待たなくてよいので,パチンコの帰りの日曜日夜8時に電話で取りに行くから作っておけといいます。国民保険で負担が少ないからこんな事です。患者のモラルハザードもあるのです。(親切な患者さんがパチンコをしているのを後で教えてくれました。)

こんな下品なことをだらだらと書く気はなかったのです。朝日新聞の余りの低能ぶりに書かざるを得なくなったのです。

言いたいことは,どこにでもごく少数の程度の悪い人間がいるということです。それでも,常識のある社会人なら,このことで,人間社会全体が馬鹿ばかりだとは考えません。こんな人間もいるのは仕方がないと思うものです。これで,保健所や患者団体に何とかしろと文句を言ったり,厚生省に患者倫理向上を訴えにいけば狂人扱いされるでしょう。

しかし,社会人としての常識すらない朝日新聞なら,それがまかり通るのです。

残念ながら,横柄な医者,配慮のない医師の言葉等は対策のたてようがありません。それを,朝日の記者のように厚生省や医師会に文句をいってもはじまりません。他の社会にもあることです。これを,厚生省が管理せよというなら,恐ろしい絶対君主の管理国家でないとやっていけないでしょう。少なくとも自由主義の国では,厚生省や医師会の言うとおり,そんな医者には患者が寄り付かなくなるという事しか,対策はありません。こんな事も,医師会に指摘されるまで,朝日新聞は解らないのです。

そもそも,医者が憎いからといって,その不快な言動を厚生省に何とかならないかと相談にいく報道機関というのが信じられないくらい低能です。報道機関が言論統制を国や医師会に申し入れているのです。報道の自由の根幹にかかわる重大事件です。朝日新聞の社主が出て来て説明するか,場合によっては社主の辞任を報道協会は要求すべき事です。自分が何を主張しているのかさえ,低能記者には解っていないのです。不快の感情だけにつき動かされて,考えずに行動するからこんな事になるのです。

応対が悪い一部の不心得者のため,厚生省に,40才から60才の医師を集めて患者応対指導講座を開かすのが朝日新聞の目的なのでしょうか。想像するだに,恐ろしい全体主義の光景です。そこでは,「いらっしゃいませ,お薬はお持ち帰りですか? 処方箋にいたしましょうか?」と復唱でもするのでしょうか。

朝日新聞の目指すのは,言葉使いさえ厚生省が管理する国家なのでしょうか。 朝日新聞はいつから医師の言葉使いまでお役所の偉いさんに管理してもらうのを望み出したのでしょうか。主権在民,民主主義,国の管理や口出しは最小限にというのが報道機関たるもの目指す方向でしょう。民主主義さえ解っていないようです。ましてや言論の自由もわからないのです。医師の言葉使いさえ厚生省に管理せよというのです。報道機関の主張すべきことでしょうか。名誉毀損や差別があればもちろん民事裁判をすればよいわけで,言論の自由とは法に触れない「不適切な言動」さえも保護するのです。それを,朝日新聞は国に管理させようというのです。言論の自由を放棄し,医師のこまかな言動まで国家のご指導を求めるのが朝日新聞です。

3.信頼できると思って選んでも,違う場合があります。
4.医師によって正確な診断や正しい治療ができる人と,できない人がいるのはなぜですか。(原文のまま)
自由主義,民主主義,自由競争とは,個人の差や技量の差が歴然とする社会です。信頼できると思って選んでも,違うのは当然です。小学生以下の低能の質問を厚生省や医師会にするのが朝日新聞です。進歩ははげしく,医療は複雑化し細分化も激しいので,万能の人間などいません。ある分野で正確な診断や正しい治療ができない少数の医師がいるのは当然です。小学生でも理解できることです。厚生省や医師会に文句をいう筋合いのものではありません。わざわざ厚生省や医師会に出かけて,こんな低級の質問をするのが朝日新聞です。対応する役人や医師会理事に同情を禁じ得ません。

この現代社会に,画一的知識と画一的治療,マニュアル治療を朝日新聞は望んでいるのです。マニュアル通りの画一的な応対や人格を朝日新聞は望むのです。変化が激しく,複雑化する現代社会でマニュアルで対処できると考えるとは気楽なものです。癌告知一つでも,癌の種類,将来の合併症はすべて違います。個人の背景,理解力は違うので,病人に画一的対応などできません。厚生省が癌告知マニュアルでも作れば朝日新聞は満足するのでしょうか。

5.パターナリズム=患者は医師の判断に従うべきだという考え方が駄目だといわれている。そういう患者は減ってきていますよ。
権威ある父親的な医師の「おれに任しておけば良い」という態度と,患者の「良く解らない点もあるので,一切おまかせします。」の様な関係をパターナリズムといいます。医師会理事の「そういうのを望んでいる患者も結構いる。そういう人にはそれでいいんですよ。」という発言に対し,記者は「そういう患者は減ってきていると思います。」と反論しています。新聞はインフォームドコンセント(説明と同意)は患者の権利であるのに医師の説明は不足で,その原因の一つがパターナリズムを押し付ける医師であると非難します。古い考えだといつも非難します。現在の趨勢の考え方はパターナリズムの排除であるのは,私も同意することです。

ところで,「医師の良悪は見分けるのが難しいので,患者も結果に責任をと言われたら戸惑う人がいるのではないでしょうか。」というのが,このあほばか記者の結論です。

「自分達で判断できないから, 医師会や厚生省に医師の質を保証せよと頼んでいるのだ。患者が困るではないか。」と怒っているのです。

薬害や疾病対策でいつも批判している対象の厚生省に,全幅の信頼を置きたいというのです。 これぞまさしくマスコミの非難する,厚生省や医師会に対して父親的権威を求めるパターナリズムそのものです。自分自信が正反対の事をいっているのさえ気付かないのです。場面が違えば,正反対の事を平気で表明するのです。 医師に対してのみパターナリズムがあると低能記者は考えているようですが,自分で判断するのを放棄し,権威に対して思考停止してしまうのがパターナリズムの本質です。医師と患者は対等の協力関係にあると主張するマスコミが,医師の良悪の判断は困難だと主張するのです。相手の良悪が判断できないなら,対等の関係は成立しません。医師とか厚生省の権威に従わざるを得ません。まるで,駄々をこねる3才児です。自我が確立していない人間の空虚な主張です。

権威は攻撃する,しかし実は他の権威に頼りきっているのです。 自分で批判的判断がつかないのです。思考がいつもパターン化した,つぎはぎの借り物だからです。思考の中心に原理・原則がなく,実は「空虚」なのです。原理・原則がないから他人の借り物の思考をすぐに援用して平気です。だから変幻自在で,正反対の意見を同一文章に書けるのです。これが朝日新聞の本質です。

あほばか医者につける薬もありませんが,もっと,あほばか記者やあほばか新聞につける薬がないのです。医者もそんな薬は持っていません。

2000.05.25

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