見ざる・聞かざる・言わざる






八坂の塔の下に、庚申堂があります。本尊の青面金剛童子とは、飛鳥時代に秦河勝が招来したもので、平安京より古いものです。 この庚申堂は、京都盆地を開いた朝鮮渡来の秦氏が創建したものと伝わっています。 中国の道教によれば、人の身体には頭、内臓、下半身に一匹ずつの蟲三尸(サンシー)が住んでいるそうです。中国では晋(しん)の時代から説かれていたそうですが、日本では平安時代の宮中貴族社会において守庚申が行われてきました。この蟲どもは普段から、身体の中で悪さをして病気の原因になったりしているのですが、それだけでなく、庚申の日の夜、寝ている間に宿主の身体を出て天に昇り、その悪い行いを天帝に告げ口しに行くのです。 大きな罪は300日、小さな罪は3日いのちが奪われるとされています。 青面金剛童子とは、これを食い殺す道教の神であり、秦氏はこれを守り本尊としていたようです。

一説で、この虫が恐れるのが猿なのです。つまり、猿により虫を封じ、悪いことを見ざる・聞かざる・言わざるにすれば、天帝に報告がいかなくなり、寿命が延びるのです。現在は三猿は、権力者におもねる象徴のように考えられていますが、本来、悪事を避け身を慎むといういさめだったのです。

秦氏滅亡後、仏僧が代々住職を受け継ぎ、いつのまにか青面金剛童子は阿弥陀如来と薬師如来の化身にされてしまいます。 後の住職のひとりが、こんにゃく炊きの習俗を導入し、八坂庚申堂では、今でも継承されています。孝行息子が親の難病を祈願し、お告げ?によりこんにゃくを食べさせると全快したといういわれが伝わっています。これと、虫封じの方法が結びついたようで、虫下しの特効薬がこんにゃくであり、十干十二支の庚申の日に、北の方角を向いて、小さな炊いたこんにゃく3個を黙って食べると良いそうです。

【諸願成就】初庚申 1月6日・7日
 一の庚申 2月11日 
 二の庚申 4月11日 
【諸病平癒】たれこ封じ 5月3日
 三の庚申 6月10日
 四の庚申 8月9日
 五の庚申 10月8日
 六の庚申 12月13日
(十干十二支の庚申の日、従って年によって変る)

三尸虫という蟲が、人の寝ている間に天帝にその人の罪を告げるといいました。それなら、庚申の日は寝ずにいれば命は延びることになります。これを庚申待ち、または、庚申講といいます。この風習は平安時代には貴族の間で流行し、江戸時代には爆発的に全国に広まりました

迷信が付随し、庚申の日には禁忌が多いのです。まず同衾を忌むこと、もしこの夜に子供ができると盗人や不具になるといわました。夜業や結髪なども禁忌とされ、食べ物も肉類やニラ、ネギ等は避けねばなりません。また、庚申は陰陽五行説でいうと「金(ごん)」の属性があることから、金属を身につけることもいけないとされました。

伝尸病というのがありました。今の結核だそうですが、尸の字が共通なので?結核にもご利益があることになりました。

江戸時代には隆盛を極め、村々には庚申堂が建ちました。辻にも道祖神の代わりに庚申塔が建ち、三猿が添えられることが多くありました。このころ見ざる・聞かざる・言わざるの伝承が広まったようです。

私の関心が低いためかもしれませんが、京都で庚申塔はあまり見たことがありません。しかし、九州特に国東半島や東北には非常に多くあるようです。そうだとすれば、都から広まった風習が遠隔地に強く残り、都では流行は廃れてしまうという、柳田民俗学セオリーの実証の一例でしょう。 広まる過程でとんでもないことが起こります。

室町時代ごろから、しだいに仏教的な色彩を帯び、庚申供養塔などが造立されるようになりました。江戸時代には修験道や神道でも独自の庚申信仰を説きだし、全国的に盛んになったのです。庚申信仰はお手軽なご利益の神様となったのです。道教は日本では人気がありません。その時々の仏教や神道の影響を受けました。仏教では青面金剛童子が青面金剛菩薩と菩薩にされ、神道では猿のつながりで猿田彦大神を本尊とする場合が多くあります。辻々に庚申塔が建ったのも道祖神との習合です。阿弥陀仏、観世音菩薩、大日如来、地蔵菩薩、不動明王、帝釈天(使いが猿)なども本尊になりました。なんという原則の無さ、いいかげんさでしょう。地蔵菩薩も本来仏教と関係の無いインドの神様なのです。ここでいえるのは、本来の神は人気が無いので、猿の霊力に関心が向いているように思うのです。青面金剛童子は誰も知らなくても、見ざる・聞かざる・言わざるは日本人全員が知っていることになるのです。ご利益信仰、絶対神の無さ等の表現でしょう。

いずれにしても、庚申信仰の中心は夜籠りするということであったはずです。ところが、これさえも変質してしまいます。庚申講では、夕方には集まり、簡単な儀式の後、持ち寄った食事を囲み、早々と10時位には解散して寝てしまうのです。これでは、三尸の蟲は簡単に天帝に報告にいけるのですが・・・。楽しみの少ない田舎で、60日毎のパーティーに下落してしまうわけです。今でも、日本各地に庚申講は残っているそうです。

信じてもいないのに、「メリークリスマス」という呪文を唱え、「ジングルベル」というご詠歌を流し、後は酒をのみケーキを食らう。大晦日にはおけら参りをし、次には初詣、10日にはインドの恵比寿に参り、2月にはバレンタインデー。どれも、仏教と関係なく、飲食のネタにしているわけです。これは、日本人が1200年以上も前から営々と行ってきた習俗のようです。 絶対神を信じ、戦争やテロを行う原理主義の国民とは対極にあるのでしょう。どちらが良いのか解りませんが。