ふれあいCafe
ふれあいCafeに載せるあなたからの、メッセージお待ちしています。
深刻な環境なお話し、楽しいお話し何でも Welcome!

(その場合、お名前とE-mail address又はURL addressは載せてよいか、又は匿名希望か明記して下さい。)
cardinal_@hotmail.com


匿名希望さん(職業=環境コンサルタント)(10/25/00)
米国では、本当に使えなくなるまで修理して使うといった慣習が、日本より大きいと思われます。日本では、製品の所有者がそれを廃棄する動機として、本当に使えなくなったという理由よりも、故障が発生してそれを修理するよりも買い換えた方がよい、流行遅れといったものが多いのが特徴です。
そこで、現在も調査中なのですが、そうした原因としては、日本製品の寿命は法律で定められた製品の修理部品ストック年数(生産が中止された後もそれらの部品をストックしなければならない年数:家電製品などは5年)に併せて
あり、技術力が高い製品ほどコストダウンのもとにそれ以上の寿命がないようになっている。また、メーカーサイド
では、意図的にデザインや機能変更を行うことで消費者の購買意欲をそそる(新型製品がでると旧型製品が嫌になる)ように努力している。があげられます。
私としては、こんな馬鹿げたものづくりの思想は、結果的に日本製品の国際競争力をなくしていくと考えており、そ
れを改めるべく努力しているつもりです。
(つい最近、20年間近くも愛用してきた、某有名メーカーの腕時計が壊れて、当然なおるものと思い、修理やさんに
頼んだら、数日して電話が来て、「在庫がもうなく、修理できません」と、言われ結局、直らない時計を受け取りに行きましたが、何となく納得行きません。今まで一度も壊れた事もなく、信頼して少し高めのこの時計を買ったのに、在庫がないので直せないとは・・・。
車でもなんでも直ぐ、新しい物、新製品に目を奪われている消費者も多いでしょうが。私は気に入った物はいつまでも大事に使いたい人間です。限りある資源をより大事にする事がこれから益々要求されなくてはならないのに、利益、利潤を上げようとする企業側の思惑がどうしても見え隠れしてしまいます。ある、有名観光地でさえ、裏に回れば粗大ゴミの山となっているようです。この腕時計、日本に一時帰国した時、もう一度頼んでみる事にします。)

中山正毅さん(3/22/2000) 環境・いのち・教育
管理人あいさつの中に、「...聞こえてくる悲しい子どもたちの犯罪の事件」という言葉がありますが、最近、アメリカのニュースで特に衝撃だったのは、6歳の男の子が教室でクラスの女の子を銃で殺害したとニュースでした。こんな小さな子どもが、どうして、こんな凄惨なことができるのか。何がこの子をこんな犯罪に走らせたのか、衝撃でした。

喧嘩したくらいで相手を簡単に殺してしまうというこの子の行為は、決して許されません。原因の追究も必要でしょう。しかし、子どもは大人が作った家庭や社会の条件の中で育つわけですから、今回の事件も、根本的にはアメリカの大人の問題であり、アメリカという社会と国家のあり方の問題だと思います。いまアメリカは、大統領選挙で大騒ぎですが、日本で聞いている限りでは、どの候補も、なぜか、アメリカ社会の銃の問題には触れません。日本人の私からみれば、これほど不思議で、これほどおかしな現象はありません。 銃をもって身を守る権利とか、銃が悪いのではなく、銃の使い方が悪い、などと言うのは理屈としては成り立つかもしれませんが、毎年おびただしい人の命が銃で奪われている現実、そして今度は、ついに6歳の子どもが教室の中で銃を使って人を殺してアメリカの現実はどうするのか。こういう事態に至っても、銃は問題にされないのでしょうか。私には分かりません。このままでは、また、悲しい悲しいこどもたちの犯罪が起き、犠牲者が出るのではないか、と思うと心が痛みます。
(NRA(アメリカライフル協会)という大きな組織が強力なロビー活動をしているため、各種の規制法案は一年以上も今、選挙中と言うこともあり、棚上げになって居るということです。少なくとも、安全装置を義務づける法案だけでも成立していたら、こんな悲劇は起こらなかったでしょう。どこの政府も自分の立場を守りたい所があるようですが本当に悲しい事件です。アメリカは場所によって、とても住むには危険な所もあったりそれを避けるためTaxが高くとも、より安全な地域に住もうとします。アメリカはこれから、本当に貧富の差が益々激しくなっていのかも知れません。)



T.Minekiさん(The waste and Garbage club Home Page)12/31/1999
最近特に感じていることは、いわゆる環境保護主義者の軽率な言葉です。ダイオキシンに関しては、その他の環境汚染物質(水銀、鉛、カドミウム、DEP、細菌、ウィルス....)より遥かに危険性が低いのにも関わらず、これだけの騒ぎにしてしまいました。
名前の独自性、単位量当たりの毒性の高さ...などが庶民に受けたのかもしれません。日本では、ダイオキシンだけを削減する法案が可決しましたが、それだけを削減しただけでは危険が減る可能性は少なく、逆に全体的な環境が悪化するおそれもあります。

この手の法案は世界に先駆けて、日本で提案されることが少なくないのですが、ダイオキシンに関しては法律が適用されないことを望んでいます。 特に気になることは、世界情勢が非常に不安定になっていることです。環境問題こそが民主主義で解決できることです。

世界中の人々が国境を越えて環境問題について話し合えるような時代が来れば、世界戦争の危機は避けられるでしょう。ただし、うわべだけの環境問題の知識だけでは、エゴイズムと避けられいずれは世界からのけ者にされてしまいます。

以上は批判ではなく常々自分に言い聞かせていることです。
(いつも考えさせられるお言葉有り難う御座います。今、世界で何が起きているかはニュースでしか、知る事が出来ませんが、それは全部を知らせてはいないという事は確かです。アメリカの政府が取り上げた問題は他の世界でも感心を持ち、そうでなければ無関心になる傾向を感じます。年末はテロの脅威を煽り、その解決策を探ろうとする姿は見えないような気がします。これでは、いつまでたっても、平行線かもっと悪い将来が見え隠れするのです。)



和美さん (12/30/1999)
新しい年になる度に、子供の頃のようなワクワクした気持ちが薄らいで行くのが分かり、これは大人になった証拠なのか、暗いニュースがあまりにも多くて何時の間にか希望や期待する事を忘れてしまったのか・・・こんなことではいけないと、周りに対して文句を言う前にまずは、自分自身の生活を見直して、どんな事でもいいから社会を変えてやろうじゃないか。と身近なことを選んだのが環境問題だった訳です。足を突っ込んでみたはいい物の、とてつもなく複雑な問題で情報がいかに一人歩きしているかが分かるにつれ、生活その物も、考え方も少しずつ変わ
ってきました。今までいかに人任せな無責任なことをしてきたか、反省することがいっぱいです。

 同時にこの歳まで、大事に育ててくれた両親や身近な方達に、もっともっと感謝しなくてはいけない。という気持ちも自然と高まってきて、いろんな事に気づくことが出来たのも、これがきっかけといえると思います。私にしては珍しく、難しい事なのに楽しくて仕方が無いのは、世代を超えて友人が増えたのもあるでしょう。今年は昨年以上に飛躍の年にする事を目標に希望を持ち続けて、手探りの状態から一つずつ紐を解いて道を作っていきたいと思います。今年もよろしくお願いします。
(私も野鳥に興味を持つようになったのは、そんな方とのやり取りでした。いつも、何かの出会いがあり、考えさせられる事があり、又前以上に興味が湧いてくるものです。どんな問題も興味がなくなった時はそれ以上の発展はないかも知れません。どうか、これからも、そんな興味、又人との出会いを大切に。それが、その人の人生をより素晴らしいものにするでしょうね。)



感想を頂きました。Ishioさん(10/20/1999)そらからみたちきゅう
チェルノブイリの事故では多くの人達が様々な形で被ばくしました。事故当時の救急隊や消防隊、それに事故後の復旧作業では職員だけではなく、高額の報酬で雇われた多くの人達が十分な説明を受けず、自殺行為に等しい作業を凶行し、事実死者もでたそうです。今回の東海村でもJCOの職員が責任感から被ばく覚悟で排水作業を実施(事実被ばくした)しました。この事はJCOはともかく、国までもが臨界事故のような緊急事態の対応策を準備していなかったことを表しています。同種の事故をくり返す原子力関連施設。市場原理に圧殺されていく安全管理。原子力を取り巻く情勢は悪化するばかりです。ウクライナで現在、甲状腺癌に苦しむ人達の多くは幼児期にチェルノブイリの死の洗礼を受けた事が確認されています。世界中で原子力の平和利用(原子力発電所)が不幸を量産している現状を被ばく国である日本はもっと考えてもいいのではないでしょうか。
 近く、代替えエネルギーや地球の人間活動許容量などをテーマに考えたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
(所沢のダイオキシンの時も、大騒ぎした割には最近はすっかり聞かなくなりました。今回の事故は毎日新聞によると、
東海事業所の臨界事故で、入院している社員3人の治療に、海外から強い関心が寄せられている。中性子線を大量に被ばくした患者の治療例は世界的にもまれなためで、28日には米、仏、ドイツ、ロシア4カ国の専門医ら9人が来日、3人の担当医師らと情報交換した。 (10/28/1999)
と、載っていたが、本当に大変な事と思うがメディアは大した報道をする訳でもないですね。中性子線ということさえ何の事なのか一般人はよく判りません。兎に角、各国の専門医が集まり、どんな情報交換だったのでしょう。
有限のこの世界は、本当にはかない命である事をもっと、個々が自覚すべきなのにと思うが今日も発電所は動いているのでしょう。そう言いながら私も電気の恩恵には預かって何も出来ないでいるのですが。無駄な電気は使わないよう僅かながらの努力はこれからもして行きたい。)

感想を頂きました池田和美さん (9/2/1999)
こんにちは、私は東京の大田区に住む25歳の主婦です。日本だけではなく、他国の環境汚染や特にごみ問題に興味があり、個人レベルで出来ることプラス今後の地域活動に役立てようと、検索サイトをほぼ手当たり次第開いているような情況です。

 感想  アメリカの一般的?な暮らしぶりを知ることが出来たこと、日本のNGOの問題等など勉強になることが多く、今後もぜひアクセスしたいというのが感想です。私も世の中を変えていくには、家庭と学校教育が重要だと思います。ところが最近特に気になるのは、どこへ行ってもマナーが守れない親子が多いこと。というよりマナーを知らないらしいのです。これでは素直に環境問題の啓蒙活動をしても、聞く耳を持たない人のほうが圧倒的に多いのは当然といえば当然のこと。

まずはターゲットを絞って、子供と若い世代を中心に活動を広げていこうかと、思考錯誤しております。まだ私自身もわからないことが多くて、今は情報を整理することに追われています。
(御立ち寄り、有り難う御座いました。貴方のような意識の若いお母さんが一人でも多くなって欲しいですね?とても嬉しいです。どうか、これからもそのお気持ちを忘れずに頑張って下さい。貴方のような方からのお便りはとても勇気が出てきます。有り難う御座いました。)



自動販売機で昆虫を売るのは・・・。佐藤重穂 さん [jbnest メンバーからのご意見です]  7月16日投稿( 転載許可有)
私は一応、害虫を扱う虫屋です。
 カブトムシなどの昆虫を販売すること自体は、私は特に間違っているとは思いません。日本では江戸の昔からスズムシなどを売っていましたし、それを飼って声を楽しむというのも、伝統文化の一つとされているようです(もしかしたら、スズムシが初めて売り出されたころ、「あんなもん誰が金出して買うんだ、べらぼうめ。スズムシってえのは自分で採ってきたのを飼うから風情があるんだ。それが粋ってもんよ!」と言う人もいたかも知れま せん)。
 養殖技術が確立している種類については、それをペットとして販売する行為自体、問題があるとは思えません(養殖できない種類を野外から乱獲してきて販売するのは論外です;東南アジアからクワガタの類を日本の業者が乱獲して移入しているというのが以前報道されました)。問題は販売方法にあります。

 生き物を飼うからには、売る側も買う側もあくまでもペットとしてきちんと扱って欲しいものです。自動販売機での販売というのは、ペットとしての扱いを受けていません。デパートのおもちゃ売場でカブトムシが売られているのも、生き物扱いをされていないようで、容認できません。販売するのなら、ペット売場できちんと対面販売(飼育の方法や種類の特性を教えてもらうなどのケアがきちんとできるように)してほしいと思います。
 自動販売機やおもちゃ売場で昆虫を買うのが当たり前の風景になってしまったら、昆虫をおもちゃと同じくらいにしか思わない子供が多くなるでしょう。

 ペットですから、飼う側は最後まで責任を持って飼わねばなりません。養殖された虫を勝手に野山に放すのは自然破壊です。本来は販売する側にそこまで説明責任を負わせるべきでしょう。自動販売機で虫を売るのは、こうした面も含めて飼う側へのケアを販売側がまったく放棄して、生き物扱いしていないので、問題が大きいのです。
(管理人:これが発端となってもっと過激な商売が出現する可能性もあり、このような環境が普通の世の中に なった時、子供達の心に与える影響を考えるとやはり、止めてもらいたい気持ちです。子供達は次の時代を担う存在でもある訳ですから。)



芦生(あしゅう)の森」感想を頂きました。Ishioさん(7/17/1999)そらからみたちきゅう
京都市の森についての掲載がありましたが、鞍馬から久田そして京北、このあたりは大変自然豊かな原生林があります。ホー ムページにありました広河原は京都市内(左京区)でありながらスキー場まである隠れた穴場です。熊には遭遇していませんがタヌキや狐、兎、猿それとイタチにリス、ああそれとマムシにも遭遇しました。そういえば熊の捕獲用の罠は見かけました。京北などは猪肉の入ったラーメン屋などが名物であります。
 お話の演習林は恐らく久田から日本海に向かう山林と思われますが、手前の山でも昔は日本 一遠くの小学校に通う子供が(確か山二つ)住んでいた村があったり。大規模自然公園(キャンプ場)の開発反対運 動で立ち木トラスト運動が起ったりしました。今でも立ち木トラストの森は残っています。京北などは杉などの人口林ばかりになりましたが、このあたりは日本でも数少ない原生林が残っている貴重な場所です。
  昔、このあたりで朝靄に包まれた山々を山頂より見下ろし、その神秘的な風景に大変な感動をおぼえた経験があります。林道やキャンプ場を無神経につくり貴重な自然や文化を汚さないようにしたいものです。
(管理人:Ishioさんは京都に御住まいでしたね?
幼い頃から、頭に焼き付いた風景などは一生のかけがえのない想い出となりますね?その風景がいつまでも残っている事はとても嬉しい事です。観光客が立ち入り易くする事はその風景を壊す事になり兼ねないですね?
私は、石川啄木のこの短歌が好きです。『ふるさとの山に向かいて言う事無し、ふるさとの山は有りがたきかな』

「キャリア官僚」又特権(東大法学部出身者)によって国政が動いているという事実:匿名希望  (7/7/1999)
森の所管は、農林水産省でも林野庁になります。しかし、日本の林野行政は既に崩壊しており兆規模の損失を抱えているとも云われています。
貧すれば何とかといいますが、国有林を切り売りしながら林野財政を支えようというのですから何をかいわんやです。
農林水産省の仕組みは、外局と内局に分かれています。外局とは、食糧庁、林野庁、水産庁、内局としては構造改善局、食品流通局、畜産局、等があります。外局は、農林水産省に属しますが、相応の独立した行政を行うことができます。
農林水産省は、過去から厚生省、建設省等と並んだ利権官庁の一つとされております。
事務次官は、どの省庁でも特権(東大法学部出身者)が就任するのが通例とされています。俗に言うキャリア官僚とは、国家公務員甲種(現在は一種といいます)をさしますが、特権はその上を行くものです。
一般に官僚は、業界団体と政治家の間を泳ぐようにして生きていきます。業界団体の殆どはOBが天下っている訳ですから、簡単に云えば官僚の世界を中核にしながら、政治家と旨くやっていくというのが基本になるでしょう。
よく官僚が悪いと云われていますが、そうした状況を作り出している(利用している??)政治家が、またそれを選んでいる国民にも問題があるのではないでしょうか?
この国民にあって、この政治家、官僚というのが正解とも思うのですが?
官僚という言葉そのものが民主主義を否定するものです。彼等は公務員であり、公僕であるというのが基本なのですが・・・・・・これをマスコミや国民がありがたるところに本質的な問題があるのではないのでしょうか?
学歴偏重はその集大成とも云えるのではないのでしょうか?何せ、官僚自身も国民も学歴偏重の頂点にあると信じているのですから・・・・・
(管理人:一般の多くの日本人がきっと、この不合理な現実を知らないのではないのでしょうか?だから、信じられない、後を断たない官僚の行き過ぎた横行をこれ以上許さない為にも、よくよく考えれて次の選挙の時はどうしたらいいかの道もおのずと拓けてくるのではと思います。もっと現実も見つめる目を持ってほしいものです。)


「環境問題と民主主義問題」感想を頂きました。T.Minekiさん(6/15/1999)
(The waste and Garbage club Home Page)
環境問題と民主主義問題」という題を見て私も常々そう考えていると思ったのですが、内容は私の考えとずいぶん違う切り口と感じました。
私は環境問題こそ民主主義を反映する唯一かつ最後のツールだと思っています。
例えば工場の場合。
経営者は環境設備に投資するよりは少しでも生産性をアップするために投資することを考えます。
一方、地域住民は「環境」を改善させるために工場に圧力を加えようとします。
これは民主主義以外の何物でもありません。
かつては工場のばい煙は「経済発展の証し」と官民をあげて生産力増強に邁進していました。しかし、公害の発生と民主主義の復活により経営者や国は環境問題を取り上げざるを得なくなりました。
民主主義が死ぬと国や資本は環境問題を無視するでしょう。
(ベルリンの崩壊後、西側は東側の環境の取り組みのあまりのズサンさに閉口したらしいが、それが今世界に 見本となるべく環境先進国になってますね?ですから、この意見も一理あるかなと。日本ももっと一般国民が大きな声を上げて説得力と共に行政官に持ち込まないと折角、情報公開がなされるのですから。それに、種々の問題にある程度見極める目を持つ事も大事ですね?)


御柱祭りの賑わいが伝わってきそうです。赤広寿郎さん(5/10/1999)My Outdoor LIFE
小さな町会が大きな御柱を引き、坂道の町会内を一周しますので総力を結集しないと動きません。
  老いも若きも、子供も力を合わせ、来客も手伝ってくれました。
  故郷を遠く離れ、日ごろ逢うことのない人たちが、熱心に参加している姿をみると郷愁の思いを感じました。何十年来の懐かしい人と、互いに過ぎ去った日々の長いことを述懐し、爺になった、婆になったと笑い合いました。
  7年一度の御柱祭りが戦後一度絶えたことがありました。氏子青年の解体が原因でした。祭りを惜しむ氏子総代や町会役員が小学生と小さな御柱を建てその場をしのぎましたので全くの空白とはならず、何百年かの伝統行事が守られました。
 その後は回を追うごとに大きな御柱となり、少子過疎傾向の中で結構盛り上がっています。この日は別居の息子も転勤中の息子も集まり、一軒で何人もの人が参加します。
 今回は当神社始めての女性木遣り師が出現しました。祭りに呼ばれたお客さんで、曳行も半被・鉢巻き姿で熱心にやってくれました。 私も木遣り唄を3回唄いました。一応正調節を唄えると自負しています。
 祭りは心意気だと思います。人生に心意気がないと、めりはりのない日々の連続になってしまうような気がします。
(日本のお祭りは何年も見てません。長野オリンピックで諏訪の御柱祭りの様子はとても懐かしい気持ちで拝見しました。みんなが力を合わせないととてもあれだけの催しは出来ない事です。その為に心を一つにしてより素晴らしいものを作り上げる、その段階から気持ちが引き締まる事でしょう。春のお祭りは収穫を祈り、秋のお祭りは収穫に感謝する意味も含まれているとか。幼かった頃、お祭りの時、近くの神社の太鼓の音が鳴り響いていたのを思い出します。「祭りは心意気だと思います。人生に心意気がないと、めりはりのない日々」全く同感です。これからも頑張ってください。「木遣り唄」お聞きしたかったですね。)



日本でのサマータイム導入制反対です。坪井久幸先生 (Oumasun@aol.com) (3/10/1999)
サマータイムについては,自分は導入に反対です。 あなたの指摘のように,現在の日本で導入された場合,終業時間にどれ だけの人が本当に帰宅するなり,余暇を有効に過ごすことができるので しょうか。 自分は中学校の教員をしています。本来の勤務時間は,5時15分まで です。しかし,部活動などの指導をしていれば,その時間に学校を出る ことはありません。もともと,ほとんどの学校が,日没に合わせて最終 下校時刻を定めています。冬の間は,5時ぐらいには暗くなるので部活 動を終えて下校させますが,夏には,6時すぎまで明るいので活動を続
 けています。結局,サマータイムを導入すると,朝が早くから勤務する ことになり,終業時間は,日没と同じであるならば,実質的には勤務時 間の延長でしかありません。学校と言う職場がそうであるように,他の 職場においても同様に朝が早くなるだけで,実質的な勤務時間の延長と なってしまうことでしょう。その上,延長された分の残業手当てがつく ことは今の状況では考えられず,いっそう困難な勤務体系となってしま うと思われます。
 また,ヨーロッパのように高緯度の地域では,日照時間の差は大きいと 思いますが,中緯度の日本においては,気候的なメリットも少ないと思 います。夕方の蒸し暑さは,とても余暇の時間として過ごすことができ るものではないと思います。そんな点から,省エネルギーの面でもあま りメリットが無いように思うのです。 しかし,余暇の拡大は,今後の日本にとって大切なことだと思います。 それは,サマータイムの導入によって行われるものである必要は無く, ライフスタイルの変革としてもっと上手に余暇を活用できるように日本 もなっていく必要があると考えています。サマータイムが導入されても ,結局残業しかすることが無い日本人の生き方と言うのは,あまりにも 淋しいものがあります。
(新しい事を始める時、あらゆる角度から、色んな意見を総合して決めていく事が不可欠と思います。一部の思い付き?、西洋諸国の物まね?の気がしてなりません。一時間遅くなる時はいいのですが、早めなければならない時のたった一時間でもかなりの苦痛を感じます。日本の気候風土、性格、住宅環境を考えるだけで、日本には合わない気がします。反対するグループ等はないのでしょうか?きっと坪井先生のようなお考えの方も多いのでしょうね。)


「グリーンツーリヅム」って何でしょう?赤広寿郎さん(3/5/1999)My Outdoor LIFE
そば栽培の仲間たちのこと、田舎ぐらしの希望者に空き家を提供しょうなど話しました。
  早速希望者があり、昨日のうちに仲介しましたが、第一号がまとまってくれれば嬉しいと思います。
  美ヶ原の麓の地区内にも過疎の波が押し寄せ、松本市街地に近いのに話題にしてみると、結構空き家のあることが分かりました。
  一方、都会には農村回帰の流れがありますからうまく結びつければ地域に活気が生まれます。参加者はグリ−ンツ−リヅムにかなり興味をもってくれたようです。
 米づくりでも都会の人に「一緒に米をつくって見ませんか」と呼びかければ喜んで参加するはずです。 そば栽培の会はそのテストケ−スのつもりでした。
 土地・農具・技術を提供して、機会をつくり、その上に空き家を提供してある程度滞在できるようにするのだと話しました。
 地区の90%以上が山林であることは、かけがえのない財産を所有していることであり、そのことの素晴らしさを自覚して、誇りをもたなければならないことも訴えました。
(いつか、日本に帰国となった時田舎で暮らしたい。と思ってますので、こんな計画は素晴らしい。
しかし、一寸個人的な不安?近所付き合いはどのようになっているのでしょうか?
ここ<アメリカ>に住んでいてこの辺は全く何もなく、気楽この上ない。「こんな事言っていると、日本には住めないよ」と叱られてしまいそうです。でも、あんな空気の良い場所です。空き家は勿体無いです。相思相愛で移住される方がいらっしゃると良いですね?頑張ってください。)


「次の世代を守る為 」中山正毅さん(2/22/1999) 環境・いのち・教育
いま私は,東京電力の原発増設計 画を阻止する運動をしています。今は昔と違い,日本でも,原発の立地は難しく
 なりました。ですから,新しくつくるより,すでに原発のある県に,増設すると いうやり方をします。そこで私の県が集中的に狙われるわけです。
 こんなわけで,私たち環境保全派は,住民投票で県民の総意を探ってみようと思 います。原発の事故の危険や環境の汚染について関心を持つ市民が多くなってい ます。そういう人々の声を引き出したいと思います。
 とは言っても日本の民主主義は,貰い物で,まだまだ本物にはなっていないよう です。日本人は,まだ住民投票に慣れていません。日本では,住民投票というや り方は始まったばかりです。ですから県民投票を実現することは決して容易では ありません。が,こんな狭い日本の国では,危険を放置しておいてたら,国土が みんな汚染されてしまう。人の住めない無人島になってしまうかもしれません。 私はまだ死にたくないし,家族も,友人も死なせたくありません。次の世代の命 も奪いたくありません。
(私も、以前日本海の北海道沖に不法投棄されたロシアの核廃棄物以来、日本もかなりの量の核廃棄物が出ると思いますが、あれらは一体何処へ行っているのか不思議です。一般人には判らない事が多すぎます。)


「NGOあり方」の感想を頂きました。T.Minekiさん(2/18/1999)(The waste and Garbage club Home Page)
私も日本の多くの環境団体は「契約社会」という観点からは間違った手続きを踏 んでいると思います。 つまり、環境団体の多くの人は自分が絶対に間違っていないと思っているからで す。
 特に自然環境に関しては。 それが行動や言動に出てしまいます。(議論のできない人種です。)
 政府、企業も自分では正しいと思って行動します。
 この辺で大きなギャップがあります。(口論になってしまいます)
 一般的に政府や企業の方が情報・お金・人脈は抱負に持ち合わせています。
 ですから、素人の環境団体は歯が立たないと思います。(技術論的にです)
 しかし、とにかく環境団体は増えました。
 先日方々の環境団体の方の集まりに参加しましたが、皆、すばらしい理念を掲げ た名刺を持っていました。 しかし、政府・マスコミと上手く渡り合えるものは一切ありませんでした。
(いくら騒いでもそれが相手に通じなかったら本当に空回りで終わってしまいそうですね?どうしたら相手が分かって くれるか、どんな資料を用意したら納得してくれるか、そして同時に回りの無関心な人達にもアピールし全体を見ながら・・・というのが秘訣でしょうか?しかし地道な根気と又それに見合ったアイディアが必要でしょうね。)


「究極の環境問題とは・・・」投稿者:MINEGISHI Hiroshiさん(1/22/1999)The freedom space
現在私が取り 組んでいる国際政治軍事関連も、環境と無縁ではありませんよ。
例え ば、1992年の湾岸戦争では、イラクによってペルシャ湾に原油が流さ れ、海はひどく汚染されました。また、クウェートから撤退するときに イラク軍が石油コンビナートに放火したため、大量のスモッグが大気を 汚染しました。
 戦争や紛争が破壊するものは、人の命や建物だけではありません。空気 や水、大地に至るまであらゆるものを汚染するのが戦争です。まして核 戦争は究極の環境破壊でしょう。私は戦争を防止し、解決するための活 動をしていますから、これもある意味で環境保全活動と言えると思いま す。
(まさしく、おっしゃる通り「究極の環境問題」に取り組んでいらっしゃいますね?今の戦争は毒物の化学物質も使う為、未だにニュースで湾岸戦争症候群と言って帰還兵が何らかの体の不調を訴えるのだそうです。今イラクまた、北朝鮮も危険な状態です。戦争の知らない世代が増えると又世の中が危険になると言われています。それに不景気、世界的不況に陥った時など、人の心の平常心を失いかねません。一つでも何処かの国が核など、使ったらもう後に戻れなくなってしまうでしょう。一歩間違ったらこのような危険な状態に世界が陥り兼ねません。ベトナムのシャム双生児もベトナム戦争の時アメリカ軍によるナパーム弾(枯れ葉剤)によるものでした。未だに無数の地雷が埋まっている所では住民が恐怖の中で生活しています。戦争ほど人々の心、始めあらゆる回りの環境を一辺に地獄のように変えてしまうものは有りません。若いあなた達が心して行動する人が一人でも増えて欲しいものですね。)

「猿真似の反省ポ−ズで茶をにごし」某新聞社の掲載おめでとうごさいます。
いささかの行政批判だそうです。投稿者:赤広 寿郎さん(1/20/1999)  MY Outdoor LIFE
今日は、アメリカの老人の様子を読ませていただきました。障害をもった人達もふくめて、生き生きとした様子が想像できます。一人一人が一度の人生を輝いて送りたいですね。
  遠いむかし、中学3年生ころでしたが友達と主体性の確立について論じたことがありました。昭和21年、旧制中学の入学生で戦後民主主義の時代です。個人主義や権利と義務なども新鮮なテ−マでした。
  15年前ころからアイデンティティが問われるようになり、企業や地域社会でも個性を考えるようになりました。自己に目覚めなければ日本の戦後が終わったことにならない、と考えていましたのでようやくその時期になったと
思いました。
  ところがその判断は間違いでした。国民性は封建時代や軍国時代から進歩しないで、恵まれた環境に甘んじて温室くらしですから治めるものには好都合です。勤勉、努力の上に自分の頭で考え、自分が社会をつくるようになるのはいつのことでしょうか。若いうちは革新的で、歳をとったら当然のように保守的な生き 方をするのに迎合できません。唯一の真理に向かって夢をいだ いて生きるべきです。
  敗戦間際に特攻隊で戦死した上原良司という人がいました。 私が入学の半年ほど前に23歳で戦死した慶応大学で学徒出陣の先輩です。  特効隊員の遺稿集で「聞けわだつみの声」という本がありその中で上原良司は「自由主義を基本とする国との戦いに、日本は必ず負ける。負けたあと輝かしい復興を信じ愛する人々のために死んでゆく。」と書いています。
 前回、日本の戦後がいつ終わったかについてのべました。結局曖昧模糊のうちに今の世の中になっていました。
バックボ−ンがない、ご都合保守の年配者が多くなり、物言わぬ若者もめだちます。
(「ご都合保守の年配者が多くなり、物言わぬ若者」・ ・・・物言う若者が増えて行く世の中にしないといけませんね?
最近、アメリカ映画の寝たきり老人の世話に関して姉妹で色んな感情の揺れを表現したビデオを偶然に見ました。臨終近くは何処も同じと言う感じを受けました。赤広さんのように頑張るそして物言う年配者も増えてほしいと思います。「愛する人々のために死んでゆく」・・・・お友達のお気持ちを考えると何か胸が熱く成る思いです。恐ろしい戦争は子供、子孫そして末裔までも絶対あっては成らないと思います。私も息子を持つ母親として・・他人事では有りません。)


障害者の立場になって考えたら・・・投稿者:ISHIOさん(1/10/1999)
近年特に福祉に関心を持つようになりました。
ハートビル法などにより公共施設や新規の大規模建造物では大分にバリアフリーが標準化したと思いますが、そこまでのアクセス、特に交通機関などでは改善必要箇所が多く感じられます。 車椅子を想定した低
床バスや車内スペース、盲目の人に配慮された音声信号や案内、認識力障害者への図解案内などなど。 しかし、一番問題なのは公衆のマナーだと思います。 障害者の立場で考えれば駐車自転車で歩道をふさいだり、車椅子マークの付いた駐車スペースに駐車したり出来ないはずです。
まもなく介護保険制度がスタートしようとしています。 制度事態の是非はともかく、みんなが福祉について考えるいい機会になればと思っています。
世界一高齢化が進む国で、世界一高齢者の住みにくい家が普及している現状からも、その意識の低い国民性が伺えます。
(子供の通う現地校<アメリカの学校>に足の不自由な子供もいます。有るスーパーではダウン症の方々が袋詰めをしてくれています。MembershipのDiscout Store も最近車椅子の方が、ドアーの所にいて帰りのお客さん一人一人に挨拶してくれています。日本でこのような店を見た事が有りません。子供たちもアチコチでこのような人に接する事により、自然に身障者のいる社会環境を見つめる・・・決して障害者が特別でなく直ぐ隣りにいる人達と同じように感じる事ができる心を養えると思います。日本のマナーの低さは、もしかしたら隔離したような生活が当然と考えてしまう程、普段そのような方々の大変さを見る機会が、普段の生活の中でない事が原因かも知れませんね?)


*奇人変人に出場出来そうな方々です*投稿者:匿名希望・日本以外の国に在住(12/18/1998)
鳥を見ている人間って、社会的に逸脱した変人が結構います。
 私は北海道の風連湖の突端の走古丹というところで車をスタックさせ、引き上げてもらった後にパンクで路肩にレンタカーを落とし、12月下旬の日没の早い時に10キロ歩いてレンタカー屋を呼びに言ったという経験がありますし、Golden-shouldered Parrot(キビタイヒスインコ)という鳥を見るためにプロの鳥のガイドをケアンズで雇い、朝の5時に起きて6時間以上未舗装の荒れた道を走り、昼頃に現地に着いて40分かけて見つけて、そのまますぐに引き返し、またまた7時間弱かけて来た道を戻ったという普通では考えられないことをしたことがあります。
 そういや、日本海に浮かぶ舳倉島で低気圧のために2日間島に閉じ込められ、はねる船底にへばりつきながら、必死の思いで帰ったこともあったっけ。(鳥を見ている人なら経験ありますよね)
ほかにも泉大津の埋立地で首まで埋まった人の話とか、台風が来る中、銚子の漁港で鳥を追いかけていた人の話とか、この手のアホな話はつきません。
Johnと彼の大学の友人たちはwrecker's clubなんとかっていう俗称を賜り、ウェールズのみならず、イギリス中のレンタカー会社から車を貸さないように通達が回ったほど、車を壊したとか。(一台ではなく、4台以上のようです)
 似たような話を大阪の友人のT君から聞いたことがあります。彼はオオマシコという鳥を見るために高槻の山の中を車で走っていたそうですが、狭いダートから谷底に車を落としてしまったそうです。こやつ、普段から物言いが穏やかなんで、「いやぁ、車あっこの谷に落っこってまいまいしたワ」と他人事のように言ってたもんです。そのT君今、
アメリカに在住ですが、先日アメリカ南部のアリゲータのいっぱいいるrefugeでいきなりパンクさせ、アリゲータが目の前を横切っていくのをみながらタイヤ交換をしていたらしい。John曰く、「うーん、wrecker's clubに招待したい!」
彼以上にすごい話があります。彼の友人は台風の日に泉大津の埋立地に出かけたそうです。珍しいものを探しに。収穫もなく帰ろうとした彼と彼の車は高波にさらわれ、埋立地から海に落ちてしまったそうな。翌日クレーンを使って引き上げたものの、彼の車はすでに廃車しかできない状況だったとか。アホです…。
(笑いなくして、読めませんね?しかし、Bird Watchingに行って大怪我・・・なんて事のないよう、気を付けてくださいよ。絶対このような方々の車には同乗しない方が良さそうです。しかし、100年たってもこのような境地に到達できそうに有りません。)


*野生動物の生息域では音楽は控えるべき*投稿者:ISHIOさん(12/15/1998)
私は京都なのですが、COP3以後地元 紙である京都新聞にて、よく環境問題が取り上げられています。 今の 主の話題は環境ホルモンと排出権取り引きです。アメリカは窒素酸化物及び硫黄酸化物にて排出権取り引きの実績があ り、発案者でもあるのでCOP4の話題なんかで紙面を賑わしているん でしょうね。ところで、HPの写真や裏庭の動物話を見ていますと、子供のころ TVでみた「あらいぐまラスカル」を思い出しました。家の子も動物が すきなので、一度見せてやりたいです。なんせ野生動物といえば、田舎でたぬきをみたぐらいしか経験がない ですから。私も動物が好きで、去年スキー場でリフトから日本カモシカを見たと きは大変感動しました。 でも、スキー場は、音楽をガンガン鳴らすの で、カモシカに申し訳なくなってきました。 スキーが出来ないのは辛 いですが、せめて野生動物の生息域では音楽は控えるべきですね。 先ず自然があり、その中で生活するのが理想です。
(日本は何処に行っても耳障りな音楽が多過ぎますね。野生動物が先住動物?なんですよね。)


*ダイオキシンが必須?**投稿者:Mr.T.Mineki(The Waste and Garbage Club Homepage)(12/10/1998)
食物は現在の私の関心ごとの一つです。
 しかし、記事のような一般に関してのことではなく個人の食生活です。
 たしか、小学校の低学年のことだったか、家庭科で今日の献立というような授業 があり、一例が壁に張ってありました。 当時の自分としては非常に高級なものばかりで、食べてみたいものばかりでし た。 ある時は順番に朝食のメニューを発表しあい、バランスを教師が評価するといっ たこともやりました。 私はその時は当然嘘をつきました。その日はご飯と海苔だけだったからです。
 そのころから密かに不思議だと思っていたのは、この複雑な体を動かすために、 授業で習ったような単純な炭水化物、蛋白質、脂肪、ビタミンだけで良いのだ ろうか?また、親が与えた食事だけで十分なのだろうか?いつか栄養失調になっ てしまうのではないか?と子供心にもそう思っていました。
 しかし、最近はある程度科学的に検証することができるようになりました。とい っても定量的に把握するには時間がありません。 結論からいうと今まで習ってきた栄養学的なものは厚生省の基準で行ってきたも のです。 つまり根拠はないともいえます。 みんなが信じてきたから、栄養のバランスが崩れてきました。 脂肪分たっぷりのハンバーガーや、精製された栄養剤が厚生省基準の究極的な形 で現れています。つまり数字上ではこれらの食品で基準を満たすことができま す。 しかし、このような食生活の人はなぜか気だるそうな、病的な表情です。
 つまり基準が間違えていたに違いありません。 (しかし発展途上国の子供を数百万人救うのには有効な手だてです)  私個人の考えでは、現在は栄養分の取り過ぎです。しかし、必要なビタミン、ミ ネラルは極端に少なくなっています。 このような食物は、過度に加工 すればできてしまいます。
 また、遺伝子組替植物は見かけは同じでも微妙な栄養のバランスは異なり、決定 的な栄養素の欠如も考えられます。(安全性を評価するのには100年かかるでしょ う)
 現在の栄養学は栄養素をデジタル表示しています。しかし、本来人間が自分の体 を維持するためには分析値にはでない、また知られてもいないような要素が必要 になる可能性もあります。場合によっては微量のダイオキシンも必須栄養素かも しれません
(猛毒の亜鉛でさえ、人間には微量必須ですから、そのうちこの説が堂々とまかり通る時が来るかも知れません。)


**環境先進国ドイツのリサイクル情報** 投稿者:ペンタロウさん(11/10/1998)
   まだドイツに来て半年なんで,よく詳しいことは分かりませんが,

基本的に瓶代の表示があるものは販売店にいって空き瓶を返し瓶代を返してもらう。
:コーラ,水などのペットボトル。炭酸水,ビール瓶などがこれに含まれ る。

 表示の無いものは町角にある回収ボックスに入れる。そのとき,無色,緑色,褐 色のそれぞれの色のボックスにそれぞれの色の瓶を入れる。
古紙も町角にある回収ボックスに入れる。 金属,プラスチック製品と通常のゴミにそれぞれ分けて,それぞれのボックス に。
 地域によっては生ゴミや落ち葉を入れるバイオ専用ボックスもあるらしいです。
 スプレー缶や乾電池や電球などは地域のリサイクリングセンターに持っていきま す。
 トイレットペーパーやノートとか古紙のも売られていますけど,すすんで買って いるかどうかまでは...。値段は純パルプ製のとたいして変わりませんよ。卵 のパックは100%古紙です。
 ゴミのでない商品と言えば,生○用品のナ○キンが個装されていません。
 スーパーには買い物袋持参で行きます。肉などは大型スーパーでなければパック 売りしておらず,肉屋で買って紙に包んでもらいます。
 自動販売機もありませんから,道端に空缶が...,ということもありません。
 参考までに,夫の前赴任先のタイではゴミの分別回収などというものは全く行われていませんでした。



 **英国より感想頂きました**   投稿者:佐藤  万理 さんGREEN TEA TIME(11/4/1998)
  ホームページを拝見しました。お子様もいらっしゃりお忙しい毎日のことだと推察しますが、それにもかかわらず充実したサイトを作っていらっしゃることを知り、感銘を受けました。私はロンドンからエコロジーや環境保護、樹木関係の情報をサイトに掲載しています。
  あなたのサイトでとくに興味深かったのはご自宅近くに現れるシカや鳥などの話です。アメリカのシカは日本にいるシカに似ているのでしょうか?日本にはシカが数種類いるとおもいますが、私にとってのシカは奈良公園でお煎餅をねだりにやってくるあのシカです。あとは足尾銅山付近でみたおびただしい数のカモシカの足跡だけです。アメリカ大陸は北と南が地続きだから鳥の種類もとても多そうですね。Blue Jayという名前からカケスの類とおもいますが、日本やイギリスにいるカケス(Jay)よりカラフルそうですね。American Robinは、写真からして日本のコマドリ(Japanese Robin)やイギリスのRobinと少し違うようにも見えますが、たぶん近い種なのでしょうね。
  環境アナリストの方の日本の農薬やNGOについてのコーナーも大変興味深く読ませていただきました。イギリスで田舎歩きをすると、時たま畑の中を通ることがあります。そのときビックリするのが雑草がほとんど生えていないことです。イギリスでも農薬を多用しているのでしょう。ちなみにイギリス産のグリーンピースは見栄えをよくするため着色してあり、一部日本向けに輸出されています。また、遺伝子組換え農産物については、アメリカでは既に栽培されている大豆の80%は遺伝子組み替え大豆だそうです。虫も食べない大豆を人間が食べて大丈夫なのでしょうか?この件ではイギリスではかなり敏感になっているようですが、日本の場合は畜産飼料をアメリカに全面的に頼っているため、遺伝子組み替え大豆やトウモロコシなどが家畜の肉を通して日本人の口にはいるのは時間の問題といわれています。
  NGOや環境教育における日本人の国民性については、個人的に持論があるのですが、一般庶民レベルでの環境意識は、少なくともイギリスに比べて日本の方が格段に高い気がします。日本人の平均的な教育水準の高さに
よるものでしょう。ヨーロッパ人と日本人の国民性や自然観についてのささやかな持論は近いうちに弊サイトに掲載したいとおもいます。今後もスケールの大きいアメリカの自然や環境保護についてのレポートを期待しています!

**環境教育の感想**投稿者:Mr.T.Mineki(The Waste and Garbage Club Homepage) (11/3/1998)
    環境教育というか、日本の環境問題ズバリを論じているあなたのページはまさにその通りだと思いました。
 私の日頃考えていることを見事に言い表しています。
 私は実際に団塊の世代(50歳前後の人)にこんな質問をしたことあります。
 「あなた方は非常によい時代に生まれ育って、大きな利益を受けたのでは?」
 その方は一瞬考えてこういいました。
 「確かにそうだ。今まで勉強、就職と苦労したことがない。」
 また、別の人はこう答えました。
 「え?女性は関係ないんでしょ?」
 その直後の私の答えは、
 「だから、日本はここまで悪くなった。」
 なのですが、それは心で言うに止めました。
 私がwebで「失敗の本質」を掲載したのも団塊の世代の人々が第二次世界大戦の反省というか研究を微塵もしておらず、どういうわけ か織田・豊臣・徳川の時代を回顧している点に憤りを感じているからです。直接的に現代に影響を与えているのは第二次世界大戦で、 いまだにその歴史を引きずっているのです。

  **教職者の方からのご意見です。**(10/27/1998)
    コンサルトBさんの投稿(環境教育)にあったように,日本の大学生は就職難ではありますが,まだまだ学歴優先の社会です。逆に就職難であればあるほど,学歴が必要となっているのです。日本の学校制度も少しずつ変わっていくと思っています。現在の教育では,個を大切にする事やいかにして個性を伸長させていくのかが大きな目標とされています。人はそれぞれによさ(個性)を持っていて,それを伸ばしていく事が教育であるという考え方です。また,学び方を学び,生涯にわたって学習する力を付ける事(生涯学習)が目玉となっています。飛び級や能力別クラス編成なども視野に入れて考えられています。しかし,飛び級や能力別クラス編成は,差別につながるとして,今までの公立学校教育ではタブーとされていました。そのため,一斉画一授業が行われていたのです。どの生徒も同じように扱う事が平等であると考えられていたのです。それが,日本の高度経済成長を支えてきた面も否定できません。個を大切にする教育はよい面もある反面,能力のある(どんな能力かは評価が分かれますが)生徒を育て,一部のエリートを作り出そうとする策略のような面も持っています。あなたの指摘にあるように,日本の大学の入試制度が,一度の試験で合否が出される事には大きな問題があります。現在では,推薦入学という事で,多くの大学で学力入試以外の選考方法を取っているところも増えてきてはいますが,選考基準は不明確です。高校入試でも,推薦入試が多くなっています。しかし,そのために(推薦入試で有利になるために)生徒会に参加したり,ボランティアに参加したりする生徒もいます。本末転倒の感が否めません。

**少しでも社会が変わる** 投稿者:TORAHIYOさん(10.24.1998)
    私は阪神大震災の救援活動をきっかけに、環境活動を行っておられる人々と お近付きになる機会を持ち、以前から興味があったこともあって、ささやか ながら、いろいろな活動に関わらせていただく機会を得ました。そして自分が 行動する事によって少しでも、確実に社会が変るんだと言う手応えを 感じさせてもらうことができました。
 環境だけでなくあらゆる社会問題の根っこは同じようなところにあるような 気がします。環境問題だけを解決する事はできないですよね。
 私はカヌーと、身近な動物達を通して、1人でも多くの人と様々な体験を 分かち合う活動をやっていきたいと思っています。

**マサチュウセッツ州環境庁長官との会見の感想** 投稿者:某環境コンサルトさん(10.23.1998)
    「アメリカ人も、必ずしも崇高な理想だけで行動しない」という現実に驚いたことです。すなわち、ボストン湾の環境保全を図るために!というスローガンは掲げられていたのですが、それだけで多くの税負担を住民が納得したのではなく、「このまま何もしなければ、より以上の負担が将来的にある。だから、今負担した方が安く済む」ということで、住民合意が得られたと開けっぴろげに長官に言われたときは、思わず納得してしまいました。 ここでは、住民の合理的な経済論理が最終的決定要因となったことは事実なのですが、日本のように闇雲に経済論理を優先させず、背景となる大義名分がしっかりしていることが、アングロサクソン的だなあと思いました。


**もっと素直に** 投稿者:某環境コンサルトさん (10.23.1998)
   「男は余りにも仕事に逃げているのではないか?」ということです。勿論、子供達と接することへの恥じらい的なものがあるのかもしれませんが、家族を養うとか仕事こそが男のとかいうことで、自分自身が果たさなければならない、家庭での役割を放棄あるいは逃避する傾向があるからではないかと思うのです。私自身の論理としては、父親があるいは夫が働いて家族を養うのはあたりまえの行為であって、家族にとって偉くも立派でもないと思うのです。しかし、父親あるいは夫は、その行為が余りにも崇高な行為と化しすぎ、そこに自分の身を置くことで、家族から逃避している人が多いのではないかということです。そこに、夫婦、親子の溝ができるのではないでしょうか。そして、こうした事態が地域レベル、国レベルで拡大することで、今のような訳のわからないような現実があるのかもしれません。「もっと、自分に素直になればいいのに」これが、今の私の思いです。

**環境問題について** 投稿者:Oumasun さん        (10.23.1998)
   環境問題については,一方的な見方では決して解決していかないと思っています。いろいろな見方や考え方を柔軟に取りいれていく事や,それぞれの立場に立った考え方を理解していく努力が大切だと思っています。自分は生物と教育に携わっていますので,そんな観点から見ていきたいと思っています。



環境の危機は子供たちの危機投稿者:エコロジカルウエブ 小澤 祥司(10.22.1998)
   身近な自然をテーマにしたホームページを開いています。子どものころは小さな虫や魚、カエルやヘビと遊んで育ちました。でも、いつの間にかそんな環境が子どもたちのまわりから消えてしまいました。私は、身近な生きものたちのくらせる環境の危機は、実は子どもたちの危機ではないかと思っています。自然はいろいろなことを教えてくれます。小さな虫がどうやって身を守るか、カマキリがどうやって餌をとるか、食べられる木の実、草や木の枝などを使ったさまざまな遊び・・・。大げさにいえば生きていく上で必要な創造力と想像力は、みな自然が与えてくれるのです。あくまで楽しく・面白くを基本に。水辺や林や草はらに子どもたちの声がよみがえることを願っています。

**環境に関しての一言 ** 投稿者T.Mineki(9.27.1998)(The Waste and Garbage Club Homepage)

  一人一人が信念をもって生きること」と、しかとりあえずは言うことしかできません。地球にやさしくしろと言っても抽象的すぎるし、考え方によりずいぶん行動に違いが出てしまいます。また、強制的に行わせる訳にもいきません。強制的に行わせる思想は全体主義に発展するかも知れません。



 
 





























    HOME