これからの教育の在り方とは

   今、日本では大学生の就職難です。勿論、未だに学歴優先の感は拭えません。しかし、今まさに、日本の終身雇用制度は終わりつつあり、民間企業で終身雇用を信じているところは、殆ど無いのです。また、このことは、お国頼み、会社頼みの時代の終焉を意味するものです。 よって、これからの時代は、個性とプロフェッショナルとしての実力がものをいうのです。

   今、リストラ等で解雇あるいは退職する団塊の世代が多くいます。彼等の言い分は「精神誠意会社に尽くしてきた」ということでしょう。そして、会社を離れた今、彼等の殆どは「何の才能もないただの人である」ことを改めて痛切に感じているはずです。現在の能力優先の教育制度は、そのような人々を、凝りもせず造り出そうとしています。

   私も、多くの新卒の学生を見てきました。勿論、有名大学でしかも大学院を出た子も多くいました。 私の率直な感想は、「勉強しかできない」です。 個性もなければ、自立もしていません。 世の中に通用する技術や知識、さらには常識をも持ち合わせていない。 すなわち、他人のつくった枠組みだけでしか生きられない、金太郎飴というところでしょうか。 イメージ的には、「育ちの悪いロボット人間」といった感じです。 日本は、日本だけでもう存続することができない時代です。 すなわち、これからの国際社会で本当に、こうした若者が生き延びて行けるのでしょうか?

   私は、確かに極端で言い過ぎのところがあるかもしれませんが、真実だと思っています。
これもそれも、霞ヶ関最悪の文部省(落ちこぼれ官僚組織とも言われています)に、教育を委ねていることが、諸悪の根源かもしれません。  したがって、学校というものに、自分の子供の教育を任せるのは、極めて危険であり、自分で自分の身を守るがごとく、自分の子供は自分で教育しなければならないのかもしれません。

   追記して言えば、教員は子供という人質社会での頂点として存在し、自分自信が教育者という名のものに卓越した存在であるというように、勘違いしている教員が殆どです。あくまでも、閉鎖的な社会であるがゆえに、社会適応の困難な人々が、いわゆる専門家と称して、徘徊しているわけです。これは、教育の場に身を置く親戚身や友人を見ててそう思います。
環境問題をやっていると、終局的には必ず環境教育といった問題にぶつかります。 日本では教育というと、「教えることが育つこと」と考えがちですが、本当は「育みかたを教える」ことではないかと、私は考え、いつも、上から見たあるいは、押し付けスタイルに対して憤りを感じています。

   今、私は専門家や学者等、そして現場の人々等多くの方たちと話し合い、そして考える機会が多くあります。そしてまた、外国の環境コンサルタントや企業とも連絡を取り合って仕事もしています。  こうして、幅広いや階層、人種の人々と接して、常に感じることは、それぞれがそれぞれの立場を持ちながらも、それぞれの主張を持って接し、理解することの素晴らしさです。  私の子供だけでなく、これからの時代を担う子供たちの多くが、それができる人間になって欲しいと常々思っています。

  探検家である私の知人が、先般、一人徒歩による北極横断を成功させ、今度は南極横断に挑戦するそうです。横断の途中、衛星電話で小学生達と通話し、地球環境や南極の話をすることになっているとのことです。また、彼は、今度の探検を最後に、地元の山形で探検学校を主催したいと言っています。彼が、私の家に泊まり、私の子供達に、アマゾン川の筏下りやグリーンランドの徒歩横断の話をしているとき、子供達の目もまたキラキラしていたのを思い出します。そして、その思いは、大きくなった、今の子供達の心にもしっかりと残っているようです。 私たちが、探検家である彼程に、子供達への影響力を持てるかどうかは分かりませんが、私たちなりに、次世代の子供達のことを考え何かできたらと考えています。そうした、視点で「環境教育」のあり方も、もう少し考えてみたいと思っています。

(管理人:この投稿文は私の子供の通う補習校(土曜日だけの日本人学校)の問題点をメールした所、この様な返事を、頂き、一部変更し、本人の了解を得て載せる事にしました。これからの環境を少しでもいい方向に変えていくには、学校教育の中に、いかに環境教育を組入れて行くか、父母、教師そして地域一体になって意識して行動する事が、理想と思うのですが。)

<11.10.1998追加>
  日本の政府審議会の委員等を多くつとめる、某教授と会食した折りに、日本の将来について話し合いました。「今のままでは、日本は、今のポルトガルどころかエジプトになってしまう」これは、我々の一致した見解です。
  今の、大人、特に時代を担っていると勘違いしている団塊の世代を中心とした階層は、「自分だけの立場の擁護のみを考え、自分たちだけの世界観、正義感をもって、自分たちの責任や負の遺産を次世代に押しつけ、しかも、次世代や若者の芽を摘み続けている。」ということも、一致した見解です。
   したがって、先ほどの環境問題ではありませんが、これから益々グロバリーゼーションのなかで戦い抜ける人材が必要な現実にあって、しかも、現在、海外生活という貴重な体験を持つ子供達は、日本の将来を託せうる重要な人的資源を、馬鹿げた文部省の顔を伺うことで、自分たちの保身を考える教員に、本当に任せていいのでしょうか?
  せっかく、海外で暮らしているのですから、もっと世界の将来、将来の日本、そして、将来の子供達を考えた教育を皆様で、話し合うことができればいいのでしょうが・・・・。

  これだけは、はっきり言えます。日本もすでに5,10%の裕福層と90%の貧民層に二分化されています。日本人の多くが錯覚していた中流階級は既に崩壊しているのです。サラリーマンは江戸時代の農民と全く同じで、貧乏人の代名詞になりつつあります。サラリーマンに労働者として以外の可能性はないのです。もう、政府も企業も、あてにならなくなった現実で、本当に今までの価値観のままでやっていけるのでしょうか?むしろ、個々が逞しく、生き延びていけるようにすることが、今の教育に必要なのではないでしょうか?
 特に、海外に暮らしている人々にとって、今の日本がどれ程著しく変化しているのか、解りにくいかもしれませんが、もう、昔の日本は戻ってきません。第二次世界大戦の混乱期以上に今は変化しているのです。



 
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