アメリカから見て感じる日本の「国旗、国歌」への提案

 アメリカの「国旗の星条旗」、「国歌のStars & Stripes」は国民から広く愛されています。私が「国旗、国歌」に興味を持ったのは、アメリカの現地校に子供を通わせるようになってからです。アメリカの公立学校はキンダーから、毎朝、起立させ、子供達が胸に手を当てて「国旗」に向かって宣誓をします。又、事あるごとに「国旗」に向かって起立して「国歌」を斉唱しているその姿は中々見ていて気持ちの良いものです。子供のスポーツの試合の前にアメリカ人生徒が「国歌」を独唱したのを見た時には、今までにない本当に感動じみた震えさえおこり ました。私でさえこれほど感動するのだから、アメリカ人はどんな気持ちになるのかと思ったものです。多くの子供達、大人達が「国旗、国歌」に親しみ、敬意を表しているのが見ていて良く分かります。そして、我が家の子供達もアメリカの「国旗、国歌」が好きです。

  日本もこのように学校現場で頻繁に使ったら生徒の気持ちを一つとは行かないまでもかな り、士気が上がって来るのかも知れない・・・と考えたのが始まりです。そんな素朴な質問を回りの知人に投げかけたのですが、これは思った以上にかなり複雑な問題である事が判り始めました。戦争問題が絡んでいる事は想像ができましたが此れほど後を引いていた事を改めて知りました。

  その時思った事は同じ敗戦国のイタリア、ドイツは戦後「国旗,国歌」をどうしたか?と言う疑問でした。イタリア、ドイツは「国旗」は替え、イタリアは「国歌」も替えています。ドイツは「国歌」の問題の部分は歌わない、そして公式の時のみで強制はしていないと言う事が判りました。日本の場合は「戦前から親しまれている」として、替えると言う事は全く考えず法制化しようとしています。これだけ教育現場がこの問題で荒れているにも関わらず、どうして、替えるよう検討しないのでしょう。国民主権国家になったのだから、それらしく、国民 に問う事を今からだって遅くはないでしょう。しかしその気配は全くありません。私自身は「日の丸、君が代」に関しては好きな方かもしれません。

  しかし、こうなってくると、自分の国のことばかり考えるのでなく、教育現場の状況、そして諸外国の日本に対する感情など回りの状況も考え柔軟な姿勢こそが、少しでも世界の尊敬が集められるのではと考えるようになりました。

  明治以後は多くの分野でドイツを範として、例えば法制度、学校制度また軍隊の創設なども手本として来たそうです。ドイツより経済大国と言われている日本です。今からでも同じ敗戦国のドイツの戦後処理を見習っても良いのでは、とも思うのですが。例えば、ドイツは今でもナチス戦犯を追っています。戦争被害者一人に20万の賠償金を支払って来ました。終戦後、今度はドイツへの熱は醒めアメリカを真似たような真似ないような中途半端な感じです。例えば教育制度は六三三制は似ているが、アメリカの場合、義務教育の裁量権は校長にあり、また州に教育の全権があって、政府はそれに干渉しないし、校長の思想によって教育形態が違い非常に自由です。日本はすべて文部省の全国画一、学習指導要項によって教育がなされています。政府が干渉しないアメリカと違い、日本は全ての教科書検定(検閲)されます。ですから、どんな戦争だったのか実際の所知らない国民の方が多いのです。すべてが一部軍人がベールの向こう側で決められた無謀な作戦、それを喩えると日本の戦死者の2/3は餓死だったのです。それは食料補給の見込みのない作戦を繰り返した結果であり、又そのような作戦を企てた軍人を排除するシステムもなかったのです。沖縄戦線はアメリカ軍より沖縄の一般市民の戦死者が多く、ある生き残りの表現によると日本軍によって多くの一般市民が殺されたという事実、日本軍は沖縄市民を守りはしなかったのです。敗戦後、ソ連軍が満州に侵入してきた時は開拓団に知らせもせず軍上層部は逃げ出したという事実もあります。此れほど兵士、国民の生命を粗末に扱ったこの日本軍は歴史に例がないとの事です。その結果日本人の一般人含めて300万人があの戦争で亡くなり、いつのまにか今年で54年目です。風化させるのでなく、真実を見つめる目を養い戦争の悲惨さを語り継ぐ事で、次世代を担う子供達に本当に戦争はしては行けないもの・・・と自覚出来る心を植え付ける事が大切です。これこそが戦後世代の役目でしょう。

  アメリカ人の多くが「国旗、国歌」を親しみを持っている姿を見るにつけ、その反対に日本の学校現場の扱い方。子供達、教師達又大人達の「国旗、国歌」への醒めた心をどうしたら、アメリカのようにするにはやはり、替えるしかないのではと強く思います。記事にも、最近、文化人が中心になって[「日の丸・君が代」の代案を市民が募集]というのが載ってました。より、多くの国民が大きな声で誇らしげに大合唱している姿を見たいと言う夢があります。合唱する事は不思議に気持ちを昂揚させ、また団結を強めてくれるものです。日本人の心の荒廃、様々なものに対する無関心な老若男女が増える中、もしかしたら一寸した切っ掛けで少しは明るい兆しが見えてくるかもしれないと思うのは私だけではないでしょう。「国旗、国歌」を替えようとする市民運動がより強くなって行政をも動かす力となって欲しいものです。過去をしっかり見つめてみると、それが極自然としか言いようがありません。



 
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