最近感じる親への想い
管理人 11/15/1999

  枯れ葉も残す所後、僅かになった。この時期になると、思い出す事がある。この家に引っ越した頃は夏の終わりの頃で我が家は鬱蒼とした自然の森の中にうずまりそうだった。その時一緒にやってきた、義父母はこれは酷いとばかりに彼方此方の枝を切り出した。私はこの自然な感じが好きだから・・・。と、あわや、喧嘩になりそうな時もあった。「母屋に木の枝がかかると、その家は繁栄しないよ。」と、迷信のような事も言っていた。家の回りのイチイなどの植え込みは確かに延び過ぎていて鬱陶しかったので、さっぱりした所で今度は感謝をしたものだった。その義父母も今は病気がちとなり、此方まで来る事もままならないくらいになってしまった。

 義父母が帰った後、今度は実家の両親がやってきた。キレイに紅葉し出した秋のうららかな頃だった。今度は、父もあっちの枝こっちの枝と
キレイに紅葉している枝も構わず切り落としている。私は又、「今一番キレイに紅葉しているのに勿体ないから切るのを止めて。」と、頼んだ。
この紅葉の時期になると、あの時の事が毎年思い出される。木は切らないでいると縦横無尽に伸びてどうしようもない事が後日判ったのだが。全く当然の事なのだが。

 最近、気が付くと親と同じ事をやっている自分に可笑しくなる事がある。
例えば、今年はアカザが根元の直径3センチ、丈が2.5メートルに成長したので、乾燥させて置いた。最初の頃は単なる、支柱でも作ろうかと考えていたが、土が良かったせいか伸びるは、伸びるは、おまけに太くなり
木の雰囲気になった。そこで、父がとても立派なアカザで杖を作ったのを思い出し私も早速それを作るべく枝を落とした。さて、どんな杖を作ろうか
。やすりも掛けた方が良さそう出し、ニスを塗って光沢を出して、と思いは巡る。それを、今使う訳でもないが何故か心が弾む。

 最近は段々漬物が美味しい時期になった。その重石は某所の川から、
拾ってきたものだ。一つは我が家の敷地内の森の石だ。実は母も全く同じ事をしていた。川に行って、平らな良さそうな石を見つけると、「直ぐ、これ漬物石に良さそうだ」と、抱え込む。お陰で、実家にはそんな風に集められた石が一杯あったような気がする。「親の背中を見て子は育つ」
とは、本当の事だとつくづく思う今日この頃。もっと、高尚な事を一生懸命していた親なら私もそうなったかもしれない。今からでは諦めるしかない。でも、何でも作る楽しみ、探す楽しみ、店にある物をただ、買うのでなく工夫する生き方は私も好きだ。あの杖は父のお棺に入れて上げたが、あの世で使っているのだろうか。あんな立派は杖は作れそうもないが。


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