環境リスクマネージメント

  日本人は、「災害や危機が発生することを想定した対策を講じることで危機が生じても問題はない」という考えが強く、「こうした危機対策の想定を上回るような事態(実際の危機)は発生しない」あるいは「発生しないだろう」、「発生して欲しくない」といった形で曖昧になってしまい、結局は想定を越えた危機が発生したときには、何もできないでいるのが現状です。
  過去に、「廃棄物処理施設の環境影響や、それによる人的被害が絶対にあり得ないということはない(どのような対策を講じても確率的な危険はあり得る)ことを、前提として廃棄物処理施設のあり方を考え、周辺住民等と対応することこそが、反対運動の激しい廃棄物処理施設整備の一番の近道である」と厚生省へ過去に報告書として提言したときには、猛烈な反発を受けたものです。(最近は大分風向きが変わっていますが)
  ここでいう廃棄物処理施設の影響や被害というものは、環境リスクマネージメントの範疇となり、様々な対策を講じることで、そうした事象の発生確率を下げることはできますが、ゼロにすることは絶対にできないのです。すなわち、「絶対問題はありません」のような「絶対」程あてにならないものはないし、むしろ、曖昧な分より現実的な危機発生への対処方法が明確でない分危険とも云えます。
  ですから、むしろ、どの程度の危機まで許容できるのか(勿論、その時の対処方法(補償問題も含む))といったクライシスマネージメントを考えた上で、どのようなリスクマネージメントが必要かを考える方が、合理的であると同時に現実的であるとも云えます。(だからといって周辺住民が納得するかという話は別問題ですが・・・)
 環境問題も、基本的にはリスク論で考える必要があります。絶対とかゼロという定義は現実的でないばかりか、むしろ問題をうやむやにし、より現実的なリスクとしての確率を高めることにもなりかねません。
  例えば、「ダイオキシンや重金属」という言葉だけで、「全てが危険でありこれらを全て排除あるいはゼロの状態にすべきだ」といった発想にも似ています。
  ご承知のとおり、ダイオキシンのなかにも有害性の高いものとそうでないものがあるし、亜鉛のように人体に必要な成分であっても、摂取しすぎると有害なものとなるようなものがあります。また、既に自然界にあるものや、既に汚染が進み全てを排除することが困難な状況の場合があります。こうした事態に対して、汚染源を削減する努力は勿論必要不可欠でありますが、それには長期的な時間を要する場合も多く、より現実的な問題として、こうした汚染や危機状態に対して、今現在、何をすることが最もベターなのか、リスク回避率が高まるのかといった部分にも、もっと着目して欲しいものです。
  簡単に言えば、「森を見て木を見ず」、「木っ端拾って大木流す」というように、物事の本質を見極めた対処こそが、環境問題では重要であると考えるのです。(物事の本質を考えることは、日本人が最も苦手とする部分ではありますが・・・・)

 こうした、「出口からの視点」として「クライシスマネージメント」をとらえ、何某かのモデルを構築できればと考えています。

本当は、クライシスマネージメントの基本原理は、一寸専門的なような気もしますが比較的容易です。
 (1)危機事象のシミュレーションの精度と想定範囲の適正度
 (2)シミュレーション事例に対する最適解(最低リスク)の選択
 (3)情報の共有化と役割分担の明確化
 が基本です。
その発祥の本質は「戦争」とくに米国の核戦争を想定したクライシスマネージメントは、極めてレベルの高いものと云えるでしょう。



 
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